代表挨拶


マジシャン池田太郎 プロフィール写真

 

はじめまして。ワンダフルマジックワールド運営者の、マジシャン池田太郎と申します。私はプロのマジシャンとして、さまざまなショーやイベントで活躍させて頂いております。少し特殊な業界ではありますが、みなさまに楽しいひと時とかけがえのない思い出を提供できるよう、日々技術を磨きながら活動しております。

 

ところで、なぜ私がマジシャンとして活動をしているかと言いますと、マジックをすることで人々を笑顔にできるだけでなく、大切な一生の思い出を作る手助けができることに気が付いたからです。

 

これは、私が中学生の頃にマジシャンを志したことがきっかけでした。

 

 

マジシャンになることを目指した学生時代

 

私がマジックにハマったのは、中学二年生のときです。当時は、「マジックにはタネや仕掛があるから、自分にもできる」と思っていました。

 

そしてあるとき、友達で手品が得意な人がいて見せてくれました。このときは、「私がその場で出した1円玉」を使ったマジックでした。4枚の1円玉があり、両手に2枚ずつ握ります。そこにおまじないを掛けると、1枚が右手から左手に移動するというマジックでした。

 

私はこのマジックに衝撃を受けました。自分が出した1円玉なのに、まるでプロマジシャンがやるような凄いことが目の前で起きたからです。自分でどんなに考えても分からず、タネを頼み込んで教えてもらいました。

 

そして、そのタネを聞いて衝撃を受けました。

 

タネがあまりにも単純だったからです。難しいテクニックを使ったわけでもなく、コップを通り抜けるコインのような凝ったギミックを使うわけでもなく、単純に錯覚と思い込みを利用したマジックでした。

 

これを見て、「人はこんな単純なことにダマされるのだ」と思い、完全にマジックの魅力にハマりました。そしてこの瞬間、将来はマジシャンになろうと決めました。

 

その後高校では、独学でマジックの勉強と練習をしていました。大学に入学した後も、マジックはもちろん続けていました。大学では劇団サークルで手品を演じるなど、さまざまな取り組みをしていました。

 

就活の時期では、手品の通販会社から合格の連絡を受けていたので、迷わずその会社への就職を決めました。

 

就職した会社は昔から手品道具を買っていた馴染みのあるところで、有名なマジシャンが社長の会社でした。大学4年の夏からバイトとして働き始め、マジック活動をようやく本格的に始めました。

 

 

手品道具の通販会社に就職し、マジック関係の仕事を始める

 

卒業後はマジックの仕事を行っていましたが、主に通販の発送、海外商品の検品や翻訳、手品道具の制作、カタログ制作、カタログ発送業務、棚卸し、といったことが殆どで、パフォーマンスの仕事は全く無かったです。

 

たまにテレビの現場に行きましたが、ほぼ狭い社内で毎日過ごし、他の人との交流が全くありませんでした。

 

そのため、もう一度自分自身を見つめ直すために、翌年にはこの会社を辞めました。そして、この会社での業務を通して、「本当にやりたいこと(マジックの実演)」と「やりたいことに近いこと(マジック道具の通信販売)」は大きな違いがあると分かりました。

 

このような社会人一年目でしたが、それでも既に会社を辞めプロとして活躍していた先輩マジシャンや、マジック関係者との人脈を作ることができ、会社をやめてから助けられることになりました。

 

また、結果的にはマジックの道具についてもかなり色々と学ぶことができ、今でも感謝しています。その社長とは現在でも交流があり、ときどき会っているほどです。

 

 

銀座のマジックバーで、人に喜ばれるマジックの本質を知る

 

手品の通販会社をやめると、そのときに知り合ったある先輩マジシャンから、「銀座のとあるマジックバーでマジシャンを探しているから入ってみないか」という誘いがありました。「マジックを実演したい」と思っていた私は、喜んで入ることにしました。

 

そのマジックバーは、マジックバーの中では一番古く、お客様の目も肥えていました。そのため、当時の私の技術では、何をやってもお客様にウケず、手品自体も上手く行きませんでした。

 

そのため、このころの私は「マジシャンをやめよう」と思っていたほどです。そのくらい、マジックを披露することを毎回苦痛に感 じていました。

 

マジシャン池田太郎 マジックバーポイントでの写真

 

ただ、この仕事のほかに実演販売もやり始め、人前で演じることが多くなってきたので、徐々に仕事に慣れてはきました。そして、お客様の前でマジックを披露していくうちに、「難しいことに挑戦するマジック」と「お客様に喜ばれるマジック」は全くの別物だと気づきました。

 

以前の私は、「マニアックな仕掛けで、難しいテクニックを使うのがマジックだ」と思っていましたが、そうでは無かったのです。たとえ単純なことであっても、見せ方次第でお客様を満足させられることに気が付きました。

 

また、この時期は大御所のプロマジシャンにレッスンを受けており、ステージマジックの勉強もしていました。

 

その一方で、新潟のホテルで1ヶ月、夜の時間帯にショーをする仕事を紹介してもらい、そこでマジックを披露しました。毎日ステージショーを行なうのは、経験が少なかった私にとっては良い勉強になりました。

 

 

マジックブームが到来し、仕事の増加とともに腕を磨く

 

2003年あたりから本格的にマジックブームが沸き起こり始めました。今までのブームは、テレビに出演する特定のマジシャンに焦点が集まっていました。その一方で、このブームはマジック全般に焦点が広がったのが特徴でした。

 

そのため、無名なマジシャンでも「マジックができる」というだけで仕事が舞い込み始めた時期です。この頃の私は、プロになって数年しか経っていなかったですが、マジックバーの仕事の他にもパーティーや結婚式での仕事も増え始めました。さらに、他のマジックバーの仕事もたくさんいただきました。

 

2004年は、完全にマジックブームでした。私もブームの恩恵にあずかり、かなり忙しく仕事をしていました。とにかく、本番経験をたくさん積めたので、度胸と腕が上がっていった時期でもあります。

 

また、ブームは長くは続かないだろうと思い、稼いだお金をイリュージョンマジックに投資していました。この頃は、ほぼ毎日マジックバーで働き、土日はイベントや結婚式と忙しかったです。

 

2006年になると、若干ブームは落ち着き始めた感じはありましたが、まだまだマジックの人気は衰えていませんでした。お陰様でレパートリーもだいぶ豊富になってきていました。

 

この頃からステージショーで憧れていた、空中からトランプを出すミリオンカード(空中で次々にカードを取り出すマジック)という演目をレパートリーに加えるために、練習や手順構成、曲探しなど取り組み始めました。

 

ミリオンカードは完全に技術だけを必要とするもので、とても難易度が高いマジックです。そのため、私はお客様の前でマジックを披露するたびに、ものすごく緊張していました。

 

しかし私は、「ミリオンカードは難易度が高いがゆえに、実際の結婚式やパーティーといった場で演じる人は少ないのではないか」と考えました。そして、その腕を磨いていきました。

 

さらにこの頃、いよいよイリュージョンを本番で演じ始めました。イリュージョンに使う装置は入手しづらい上に、高価なものが多いです。

 

この点に注目した私は、「さらに他のマジシャンと違うことをして、マジックの世界で生きていけるようにしよう」と考えました。

 

そこで私は、ショーなどの仕事で得たお金を、イリュージョンの勉強に使い、ミリオンカードに加えてイリュージョンの技術も磨いていきました。

 

2008年頃からブームは大分落ち着きましたが、それでもコツコツと積み重ねてきた経験や実績、技術、人脈のおかげで、マジックに関するさまざまな仕事をいただけました。

 

 

忍者レストランとデ〇ズ〇ーのショーでホスピタリティーを学ぶ

 

ある時、先輩マジシャンから「忍者レストランでマジシャンを募集している」との誘いがあったので、快諾しました。

 

このレストランでは、忍者の格好でマジックをすることになっています。その上、かなりマジックの取り組み方が変わったところです。

 

ここで私は、あるマジシャンと知り合いました。彼のマジックはとても印象的でした。そのマジシャンは、マジックの技術よりも、ジョークでお客様を笑わせるテクニックに力を注いでいました。

 

そして、そのマジシャンのマジックを見たお客様は、誰もが笑顔になり、彼に惜しみない拍手を送っていました。私は、その光景を何度も見てきたことで「お客様にウケるマジックがどういうものなのか」を学ぶことができました。

 

そのあと私は、「お客様を喜ばせるのがうまい」と感じたマジシャンのショーを何度も見に行き、自分自身のマジックに「笑顔にできる要素」を取り入れていくようにしました。

 

この頃の私は、「やはりお客様を喜ばせることができるマジシャンこそが、マジックの世界で生きていける」と感じていました。

 

更に、デ〇ズ〇ーでショーの仕事があるという話が入り、そこでオーディションを受けることにしました。この時はかなりのマジシャンがオーディショ ンに参加していましたが、正直どのマジシャンも大してレベルが高くなく、ブームの申し子みたいなマジシャンばかりでした。

 

マジシャンというのは、単にマジックを見せるだけではダメです。トークによってお客様の興味を引き、適切なリズム感を演出することで驚かせたり笑わせたりしなければいけません。こうしたことを行えるマジシャンが真の一流だといえます。これは、私が銀座のマジックバーや忍者レストランで学んだことでもあります。

 

他のマジシャンはオーディションのとき、「頑張ってマジックをすること」だけに集中していました。それではデ〇ズ〇ーのキャストとして、お客様を満足させる ことができません。そのため私は、お客様(審査員)に楽しんで頂けることを第一に考えオーディションに望んだところ、狙い通り合格することができました。

 

デ〇ズ〇ーのすごいところは、真の意味でお客様に楽しんでもらうことを第一に考えていることです。例えば、何気ないスピーカーの位置や、園内から見える園外の景観までもが、お客様を楽しませるホスピタリティの一部として機能しています。

 

また、パフォーマンスを行う際には、必ず裏方のスタッフが付きます。そのため、私が舞台やレストランでマジックを披露する際も、デ〇ズ〇ーのスタッフと協力し合う形で行っていました。

 

デ〇ズ〇ーでは裏方のスタッフがイベントを徹底的に管理しています。パフォーマーに任せっきりにはせず、1つのチームとしてプロジェクトを動かす形になっていました。そのため、私もデ〇ズ〇ーのスタッフの方と協力し合った状態でマジックを披露していました。

 

デ〇ズ〇ーでショーを経験させて頂くことで、「スタッフと協力し合い、真の意味でお客様を楽しませる」という精神を学ぶことが出来たのは感謝の極みです。

 

現在の私は、マジックの研究だけでなく、忍者レストランやデ〇ズ〇ーで学んだホスピタリティの技術も追加され、さらに日々スキルを磨いています。

 

これらの取り組みにより、他のマジシャンと差別化できるショーやマジックを豊富にできるようになり、自信をもって仕事を行っています。そして、ただマジックを披露するだけではなく、お客様に楽しんでいただけることを第一に考え、いただいたご依頼に全力で応えられるよう努力しております。

 

また、 マジックの面白さを多くの人に伝え、エンターテイメントの地位がより高まる活動にも取り組んでいます。そこで、このようにインターネットを使ってマジックの素晴らしさを多くの方に知ってもらい、さらにはサプライズの世界を体感してもらうために私は活動を続けています。

 

結婚式やイベントなど、マジシャンを含め「タレントを派遣してもらいたい」と考えたときはお気軽にご相談ください。驚きと楽しさが溢れる奇跡の世界へご案内させて頂きます。

 

 

 

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